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エッセイ 私と万華鏡


今田富士雄さんを悼む
 
 
今田冨士雄さんが 2004年8月28日午前2時6分、癌のため逝去されました。
日本万華鏡大賞展の選考委員として、日本で最初の万華鏡の店・誠志堂マイヤーズのオーナーとして、日本万華鏡楽部の”お父さん”的存在として倶楽部のためにさまざまな助力をしていただいた今田さんが 残念なことに71歳の人生を閉じられました。

聖書の中に、次のような言葉があります。
「はっきり言っておく。麦はそのままであるならただの麦の粒であるが死んで地に落ちれば多大な実りをもたらす・・・・・」

まさしく今田さんは一粒の麦となって、否、妻の冨江さん(日本万華鏡倶楽部副代表)と共にふた粒の麦となり、日本万華鏡倶楽部の一人一人に、万の華を咲かせ、恩恵をふりまき私たちを見守ってくれているのだと思います。ありがとうございました。
合掌。
 
弔辞

 今田冨士雄さんが愛した万華鏡倶楽部を代表して私が追悼の言葉を述べさせていただきます。最初にお断りさせていただきたいのですが冨士雄さんは私たちにとってまさにお父さんのような存在でありました。
 ご長男の道雄さん、ご長女の文江さん、言葉の中で今田冨士雄さんを お父さんと呼ばせて頂く事をお許しください。
 お父さんは 万華鏡をこよなく愛し、まだ万華鏡を愛する人たちを一生懸命支えてくれました。 六本木で2ヶ月ごとに開かれていた教室のときにもみんなの世話をやいては 楽しそうにしていたその笑顔が今でも思い出されます。お父さんの万華鏡を愛し、そして大切に思うその心に私達はとても励まされ、そして何事にも前向きに考える力をもらいました。

 その人柄は日本だけではなく、アメリカのアーティストたちの間でも、厚い信頼を得、みんなからは”FUJIO””FUJIO”と親しまれており、楽しそうに会話をするお父さんでありました。
 又、その反面、何事にも厳しい目で私たちの良きアドバイザーでもありましたし、またダメな事はダメだよとよく叱られた事もありました。しかし、そんなお父さんからたくさんのことを学び、そして助けて頂いたことは 私達にとって何よりも大きな財産になるでしょう。

 お父さんがいなければ 私達、日本万華鏡倶楽部もこんなに大きく育ってはいなかったと思います。万華鏡(KALEIDOSCOPE)を今の日本へ初めて紹介し広めたのも、誠志堂マイヤーズの今田冨士雄さんであり、奥様の冨江さんでした。お二人がここ霊南坂教会でご結婚され、またこの地でこの世の生涯を終えると言う、お二人は常に一心同体であり私達にとって万華鏡の父、母でありました。

 これからも、お父さん、お母さんと一緒に作り上げた万華鏡倶楽部、そしてメンバーと共に万華鏡のすばらしさをより多くの人たちに伝えることが 残された私達の課題であります。

 最後になりますが 日本万華鏡倶楽部を 代表して、今田冨士雄さんのご冥福を 心よりお祈り申しあげます。

2004年8月31日
日本万華鏡倶楽部 副代表
山見浩司
 
今田富江さんを悼む
 
 
日本万華鏡倶楽部 副代表、今田冨江さんが2001年6月2日午前1時18分 順天堂医院において急性リンパ性白血病のため、ご逝去されました。享年62歳でした。
ここに謹んで哀悼の意を表し、今田冨江さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
 
弔辞

 万華鏡を愛し、万華鏡文化を広めることに力を注いだ日本万華鏡倶楽部・副代表の今田冨江さんに、お別れの言葉を 述べます。

 まだ10日もたっていません。今田さんと共に、私たちはアメリカサンディエゴの地にいました。 アメリカの万華鏡愛好家団体ブリュースター・ソサエティの万華鏡国際会議に、日本から参加していたのです。今田夫妻は日本人として初めて、この会議に参加した2人でもあります。 主催者のコージー・ベーカーさんやアメリカの万華鏡作家に多くの友人を持つ今田さんは、車椅子からではありましたが にこやかに挨拶を交わしていました。

 会議を終え、帰国して4日後の訃報でした。 コージー・ベーカーさんから、追悼のメッセージが届いています。

「今田冨江さんの悲しい知らせを手にし、深い悲しみと衝撃を受けました。 サンディエゴの大会では 穏やかで幸せそうにお見受けし、体調の厳しさは感じられませんでした。 彼女が 遠い道のりを旅したことは 何と素晴らしいことでしょう。 感謝で一杯です。私は一人でも多くの、アメリカの友人たちにこのことを 知らせると共に、次回の会報にお載せします。
 冨江を知っている人は 誰でも冨江を愛しています。 ブリュースター・ソサエティは冨江の栄誉を称えます。 愛と弔意をこめてハッピーカラー!」
コージー・ベーカー



 10年前のことです。この日本で、万華鏡を巡ってのそれぞれのムーブメントが起きました。
 コレクターはハワイで万華鏡に出会い、万華鏡作家は 自分のアイデアを盛り込んだ万華鏡作りに試行錯誤し、そして今田さんは 掌の中で、不思議で美しい未来を感じさせてくれる新しいモノ、”万華鏡”に出会ったのです。ここから日本の新たなる万華鏡文化がスタートします。 そこに大阪のジャーナリストが加わって、日本で初めて万華鏡に関するニュースが大阪・毎日放送で流れました。

 その渦の中心に今田さんがいて、今から6年前、日本万華鏡倶楽部が創設されたのです。 今、万華鏡は不思議で楽しいおもちゃとして、また美しい芸術品として、親しまれています。 万華鏡は 一度見た映像は二度と現れず、流れていく時の中で、一期一会の映像を見ていきます。 私たちの倶楽部は まさしく人と人との、一期一会の出会いの場でした。多くの万華鏡作家が倶楽部に集い、多くの愛好家が参加してきました。
 日本万華鏡倶楽部の会員は 北海道から九州まで、200人を越える団体に育ちました。

 竹を割ったような気風の今田さんは よくこう言っていました。
「万華鏡を見ると、癒しだとか、若返るとか言っているけれど、そうじゃないの。万華鏡を見るとみんなニコッと笑ってしまう、それが一番素晴らしいの!」と。

 日本万華鏡倶楽部は2ヶ月に1回、今田さんの「島唄楽園」を会場にして、万華鏡の手作り教室を開催し、多くの方々に楽しんでもらっています。ゴールデン・ウィークにも科学技術館で、子供達のための手作り教室を 開いてきました。手作り教室には 必ず今田さんの姿がありました。
 奇しくも、発病したのは 去年の科学技術館での手作り教室に参加した後の事です。 入院した後も、万華鏡の楽しさを お医者さんや看護婦さんに教え、また入院している子供達に、万華鏡を 作って教えていたそうです。

 私たちは 昨年暮れ、第一回日本万華鏡大賞公募展を開きました。世界で初めて、万華鏡だけのアイデアあふれるオリジナルの万華鏡公募展です。表彰式には 今田さんも、元気な姿を見せてくれました。今年も12月に開催しますが 新たに、「今田冨江賞」を設置し、アイデア豊かな新人にこの賞を与え、万華鏡文化を広めていった今田さんの功績を称えてきたいと考えています。

 今田さんの、にこやかな遺影を見ていると、「さようなら」ではなく「元気でね」と言ってしまいそうです。日本に万華鏡文化の種を植え、育ててきた今田さんの意思を忘れることなく、楽しく不思議な美しさを共有していきたいと思います。
今田冨江さん、ありがとうございました。

2001年6月5日
日本万華鏡倶楽部 代表

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